2011年6月16日木曜日

「ソウルのバングラデシュ人」の感想

大阪、名古屋に続き、東京で開催されている「真!韓国映画祭2011」で「ソウルのバングラデシュ人」を観た。
バングラデシュ人の出稼ぎ労働者カリムは賃金の不払いのせいで仕送りができず、故国の家族と断絶のせとぎわにある。カリムはコンビニで韓国人どうしの喧嘩の仲裁に入ったばかりに警察署に連行され、濡れ衣をきせられたあげく酔っ払った一方の当事者から「お前たちのせいで仕事がない」という言葉を投げかけられる。女子高生ミンソの母親の恋人も失業中。ミンソが夏休みに英語塾に通う月謝代ほしさにカリムの財布を持ち逃げしようとしたのが二人の出会いである。ミンソはバイト先でトラブルをおこし警察署でカリムと再開する。彼女はその後、風俗店でアルバイトを始める。

導入部のあらましを書き留めるとこんな具合だ。カリムが好青年なのにたいし、ミンソはおおいに問題がありそうに見える。韓国人の外国人労働者にたいする差別意識があらわれる描写のなかで、ミンソもまた偏見の持ち主として描かれる。カリムがバスの中で席をあけて座らせようとするのを無視し、並んで歩くのをいやがって3メートル離れて後からついてくるように言うほどである。(物語が進んで二人が絆を深めるにつれて、カリムの強制送還を避けるため、ミンソは結婚まで口にするようになるのだが)

社会のアウトサイダーと気のつよい少女との出会い。緊張感を和らげるアイロニカルな笑いと、切ない余韻を残す結末。どこかで見たスタイルである。カリムに狼の皮をかぶらせて人物像に深みをもたせ、画面に緊張感を加えればヤン・イクチュン監督の「息もできない」ではないか。

韓国映画に登場する「気のつよい少女」は魅力的である。
この作品の舞台を日本に置き換えてみるとしよう。韓国社会と日本社会には共通点が多い。ここに描かれているアジアからの出稼ぎ労働者を見下し、白人には媚びる性向などは日本人にもそのまま当てはまる。受験競争の激しさは韓国ほどではないものの、教育の機会と経済格差の問題は日本でも表面化している。それでは「気のつよい少女」ミンソを登場させて、リアリティは得られるだろうか。

私の想像の範囲ではかなり違和感がある。
極端な気のつよさを観客に納得させるには、ツッパリ系不良少女にしてしまうか、男を手玉にとるほどの色気または才気の持ち主にしてしまうか。あるいは、なぜかやたらと腕力が強い「ラブファイト」の亜紀、「ごくせん」のヤンクミのようなキャラにしてしまうほかないのではないだろうか。

つまりただの女子高生ではなく、強気の拠りどころとなる特性を備えている必要がある(ヒロインを引き立てる可愛げのない女という設定であれば別だ)。しかしミンソや「息もできない」のヨニには、そういう持ち味が付加されていない。どこにでもいる高校生である。とりたてて腕力もないのに、見ず知らずの男(ヤクザや外国人)にたいして一歩もひかない。殴られたり引き倒されたりした後ですら、おびえた表情を見せない。

「あなた、自分のやっていることがわかってるの!?」のように居丈高な物言いをして、倫理観で優位に立とうともしない。
ただ気質として気がつよいだけの少女が、それだけで魅力的な存在だ。

よけいな拠りどころを持たない「気のつよさ」が魅力的なのは、これらの作品を撮っている監督たちが、そういう少女を魅力的だと思っているからだろう。
ストーリーが展開するにつれて、少女は別の面を見せる。傷ついた内面から暖かさややさしさ、孤独や正義感などがにじみでる。そして男女は惹かれあう。そこに着目して「気の強い」女性が「男に都合のよい」女性へ変化したと見なせば、いささかジェンダー的に問題視するような捉えかたが可能かもしれない。

しかしそういう見方はとりたくない。少女らは男の意思にしたがって「変身」するのではない。関係性が深まるにつれて内面に変化が見られるというなら、男のほうもお互いさまである。それ以前に一本気な性格が、それだけで魅力的に描かれている。それは女性に「可愛げ」が求められていることへの反乱であり、そこには損得を超えた無鉄砲さにたいする爽快感がある。
こういう印象をもつのは日本人特有のものだろうか。男性特有のものだろうか。あるいは私だけの特殊な感想であろうか。
ミンソやヨニは韓国の人たち、女性たちの目には、どのように映るのだろうか。そのあたりを知りたいところだが、それはさておき、「気のつよい少女」が映像のなかの韓国にしっくり馴染んでいるのはまちがいない。そこに韓国らしさがあると観るものを納得させるだけのものがある。画面から伝わってくる韓国社会の魅力がある。

2011年6月6日月曜日

ブダペスト




最後の訪問地ブダペストに到着しました。
さっそくホテルでチェックイン。
赤いスーツを着たマネージャーだと名のる女性があらわれて
部屋に案内してくれると言います。
旅の最後の締めくくりとして、奮発してよいホテルを予約しましたが、
まあ私なんかが泊まれる部屋は高がしれています。

なんでベッドルームのほかに、20畳くらいあるシッティングルーム(居間)や
バスルームが2つもついているのでしょう。
「気に入ってもらえましたか」ときくので、はいと答えました。

入れ替わりにボーイがワインを持ってきました。
ホテルのコンプリメンタリーだと言います。
続いてフルーツセットをもったボーイが、やはりコンプリメンタリー。

開店10万人目とかに当たったのかな?
しばらく休んでから国立オペラ劇場にでかけます。
出し物はバレエ「白雪姫」。これなら言葉がわからなくても大丈夫です。

エレベータホールまで来ると何だかあやしい雰囲気。
スーツ姿のいかつい男たちが何人もいます。その向こうの通路にも。
私がエレベータに乗ると一人が乗り込んできて、ボタンを押してくれます。
腰には無線機。

1階のロビーもなんだか落ち着かない雰囲気です。
スーツ姿の輪に制服の警官も混じっています。
玄関をでると通りの正面には6台のパトカー。ホテルの角には防弾チョッキを
着たスワット系の人も。

エライ人がお泊りなんでしょうね。
不審尋問をされたりするといやなので、さっさとその場を離れます。
すると1台の車のウィンドに日本語の貼紙が見えました。
「報道官車 在ハンガリー日本大使館」
そのとなりの20人乗りのマイクロバスには「プレス車1号 在ハンガリー日本大使館」
あれれ!
好奇心はわきますが、公演の時間がせまっているので立ち止まりません。

オペラ劇場は子ども向きの出し物とあって、家族連れであふれています。
予約が遅かったので天井桟敷の席しかありませんでしたが、
なんと700フォリント(約400円)。
公演のない昼間におこなわれている劇場のガイドツアーが1500円ほどなので
かなりお得といえるでしょう。
すなおに楽しめばいい演目なので気持ちも楽です。

公演後は叙情的なバイオリンの生演奏をききながら、カフェでビールを一杯。
部屋にもどってネットで調べると、きょうからアジア欧州外相会議というのが
ブダペストで開かれているとのこと。
日本からも名前は知りませんが外相が来られていて、私とおなじ階に
宿泊されているのですね。

なんでおなじ階の超デラックスなお部屋にコリ文のおじさんを?
わかりません。
ホテルにメリットがあるとは到底思えませんが。

さきほど朝食に行きましたが、あるお部屋のドアの両側にプーチン首相を大柄に
したようなスーツ姿の男が仁王立ちしているのが見えました。
エレベータホールにもいます。
赤いスーツのマネージャーもいて、いっしょにエレベータに乗ります。
1階に着くと、入れ替わりに5人のスーツ姿のお役人ふうの日本人が
エレベータに乗り込みました。
エリマキトカゲに半ズボン姿の私にちらりと怪訝そうな目を向ける人も。

朝食のレストランでは、いく組かの日本人がテーブルを囲んでいます。
こちらはお役人には見えません。
おばさんたちのテーブルのわきを通りがかると
「よし」「それで行きましょう」と観光客らしくない口調の話し声が聞こえます。
きっと「プレス車1号」の皆さんなのでしょう。

さあ私はこれから市内観光です。
この旅最後の自由時間を楽しんできます。
有名な温泉にも入って来ようかな。

2011年6月5日日曜日

メテオラ



イドラから水中翼船でピレウスに到着。郊外電車でアテネまで。
インターシティ(急行)に乗り換えてカランバカへ。
直行列車は1日2本しかないので、無事に乗ることができて一安心。
およそ5時間をかけて、内陸へと進みます。

前の席は出発まぎわに飛び乗ってきた背の高いもじゃもじゃ頭の東洋人。
笑顔が人なつっこく「ニホンジンですか」と聞いてくるので、
「もしかして韓国人?」と聞くと、中国人とのこと。
順玉さんのお姉さんが教えていた香港の工科大学の学生だと言うので、
お姉さんを訪ねて香港へ行き、大学のプールで泳がせてもらったことなどを
思い出す。
「メテオラを見に行くんでしょう?」とたずねると、
「メテオラってなんですか」という返事。
「ほら山の上に修道院があって……」
「そうそれそれ、モンクがいるところ」
ホテルの予約もしてないですよ。おれってstupidだからと、てんで屈託がない。

インターネットで調べつくし、予約できるものはすべて予約して、
スケジュールどおりに移動している私は、ずいぶん窮屈な旅をしているものだ、
と心の中でため息をつく。

私だって25年前に初めてギリシャを訪れたおりは、なんとなくクレタ島行きの
フェリーに乗り込んで、船中で出会ったドイツ人カップルの車に同乗させて
もらい、漁村の民宿で一週間、いっしょに過ごしたりした。
アイルランド人の船乗りと夜の浜辺で酒盛りしたり、鶏の首を落とすようにと
ナタを渡されたものの、こわごわふり下ろすと、ゴムのように跳ね返されて
しまったこと、そのときの手の感触、しかたなく思い切りふり下すと、
首のない鶏が騒ぎ立てたことなどを、まざまざと思い出すことができる。

あてのない旅がしたい。
などと考える年老いた自分がいる。

無意識のうちに若さにしがみつこうとしているのだろう。
一日中、山道を徒歩で修道院めぐりをした。
後ろからきたタクシーが、わざわざ停まってくれても乗らなかった。
そのせいできょうは腰痛をこじらせて、立つのも座るのも一苦労。
悲鳴をあげながらアクロポリスの丘にのぼる私がいる。

2011年6月3日金曜日

エーゲ海で泳いだら



イドラ島を選んだ理由のひとつが、水の澄んだ美しいビーチが
いくつかあること。念願のエーゲ海での海水浴を楽しんできました。
モーターボートの海上タクシーで行くこともできますが、
一番近いマンドラキまでなら歩いて30分ほどです。
海沿いの道を歩くのは、なんて気持ちのよいことでしょう。
車やバイクに行き会わないので、澄んだ空気がごちそうです。
ゆるやかなカーブをまわるたびに景色が移り変わります。

この島は私が知っているどこの場所よりも、手入れが行き届いていて清潔です。
オモテだけこぎれいに見せている観光地とはちがいます。
住んでいる人たちが、この島をどんなに大切に思っているかが
わかるような気がします。

そんなことを考えながら歩いていると、もうビーチが見えてきました。
よく見ると奥のビーチは塀で囲まれています。
近づくと「ホテルミラマーレのビーチ」という看板が。
プライベートビーチだろうがなんだろうが、ここまで来たら
入るしかありません。入り口をくぐって、とっとと浜まで行き、
ビーチチェアを確保。

浜辺には先客が十数名。思い思いにくつろいでおられますが、
海に入る方はほとんどいません。
入っても1分足らずであがってきます。

海水の温度が上昇する午後をねらってやってきたのですが、
季節的にまだなのかなと思いつつ、ビールを運んできてくれた
格好いいビーチボーイにチップをはずんで、写真を撮ってほしいと
頼みました。デッキチェアで一枚、泳いでいるところも一枚、
エーゲ海で泳いだという実績づくりの涙ぐましさ。

デッキチェアの写真をここにアップつもりでしたが、
おどろくほどお腹がでていてブザマすぎました。
水温はぜんぜんオッケー。
このビーチにいるだれよりも長く海水につかっていました。

テーブルの上にカメラをおいて撮影したビデオです。


ほとんど潮風のにおいがしないは凪いでいるからでしょう。
それにしても、海なのに浜辺にさざ波すら寄せてこないのはなぜ?
一瞬のことではありません。3時間ずっとです。
(ビデオにはモーターボートが立てた波が映っています)
内海だから? 瀬戸内の海育ちですが、こんな海は初めて見ました。
水のしょっぱさも何だか薄いような。
世界は広いなあ、と実感した一日でした。

2011年6月1日水曜日

ロバの島



朝の6時半にクルーズ船に別れをつげて、ピレウスからイドラ島行きの水中翼船に乗船。
一時間半あまりで到着した島は、期待していた以上にステキな島でした。

ちなみにイドラはアルファベットではHydraと書きます。
つまりヒドラです。
ギリシャ神話に出てくる九つの頭をもつ海蛇、
マンガ版の「風の谷のナウシカ」にも出てきます、蛇じゃないですけど。
英語だと別の読み方、意味になるのかな。

サントリーニ島にもロバがいましたが、ロバの島ということでは、
イドラのほうが「本家本元」(と独断で言い切ってしまいます)。
なにしろイドラ島は車やバイクの乗り入れが基本的に禁止です。
ロバが唯一の陸上交通機関なので、人も乗りますが、荷物を運搬中の姿を
よく見かけます。

ガイドブックには「車やバイクの乗り入れが禁止」と書いてありましたが、
じつは車を見かけました。
港のカフェでビールを飲んでいると、フェリーが到着。
一台のオリーブ色のトラックが出てきて、どこかに走り去りました。
カフェでだらだらと時間をすごしていると、トラックがもどってきてフェリーに
乗り込みます。荷台にはゴミ袋が山になっていました。
ゴミ処理はロバの背では間に合わないんですね。

動いている車を見たのは、このとき限りでした。
とまっているのは一台、歴史博物館の横にこっそりと黄色い回転灯を備えた車を
目にしましたが、こちらは緊急車両なのか、ナンバープレートもありませんでした。

こちらでも観光客をロバに乗せますが、サントリーニとちがってロバの表情が
おだやかです。サントリーニのほうは高いがけの上まで上ったり下りたりだけでも
つらいでしょうに、つねに追い立てられていて、途中で一息つくことも許されません。
少しでも立ち止まると、グループの後尾から追ってくる親方のするどいかけ声が
とんできます。それを聞くとロバは恐怖にかられたように走り出します。

サントリーニのロバの通り道は糞(ふん)だらけです。ところどころは糞で埋まっていると
言ってもよいくらいです。おそらくケーブルカーで上った観光客だろうと想像しますが、
「もどりは歩くか」と知らないで下りてきたのが運のつき、足の踏み場もない坂道で
立ち往生しているところに、いく度も出会いました。
なにしろ、においもただ事ではありません。

ロバに乗っている間じゅう、万一ロバが転んだらケガをするもこわいですが、
糞だらけの格好でどうやって船にもどればいいものやら、満員のテンダーボートの
なかで、身がすくむ思いだろうな、とそちらも心配でした。

イドラで気がついたのは、道のどこにも糞が落ちていないこと、くさくない
ことでした。多少は痕跡くらいは目にすることがありましたが、これだけ多くの
ロバが行きかっているにしては、不思議なほど清潔です。
理由はすぐにわかりました。てロバが糞をする現場に出会わせたからです。
糞をすると、手綱の引き手はロバをその場でとめて、ちりとりとほうきを取りだし、
ていねいに糞をひろい集めます。そして布製の袋につめるのです。

年寄りでも若者でもおなじです。ロバにたいして悪態をついたりするものはいません。
犬の糞とは量がちがいますから、手間がかかります。
その姿はまるで人間がロバに奉仕しているかのようです。

サントリーニではロバのことが、なにかしら気がかりでしたが、
この島にやってきて、なんだかほっとしました。

参考ビデオ(食事どきの方は見ないでください)

猫まっしぐら



エーゲ海の島々はどこも猫だらけです。
島じゃありませんが、トルコのクシャダスも猫が多かったですね。

ギリシャ本土のアテネやピレウスは犬だらけです。
どの通りにも犬がいて、しかもお腹をつけて寝そべっています。
生きてんの、大丈夫?と声がかけたくなるほど身動きしません。

島の猫たちは、たいてい起きています。
どの猫に近寄っても逃げません。
でもやせている子猫ばかりなのが、ちょっと気になりますね。
写真は寝てるのと太っているのを選んでみました。

2011年5月31日火曜日

サントリーニ島




このクルーズの一番人気、最後の寄港地サントリーニ島です。
断崖絶壁の上に町があります。
船着場から町まで上る方法には3種類あります。ケーブルカー(韓国とおなじ
呼び方ですね。日本でいうところのロープウェイ)、ロバ、徒歩です。
事前説明会では、ロバは危険なのでお勧めしません、と言っていましたが、
ここまで来たら、やっぱロバでしょう。

写真だと、のんきそうに見えますが、けっこうスリルがありました。
ロバにとってもハードなのか、ときどきよろけますし、ジグザグに折れ曲がる道の
曲がり角にさしかかるたびに、外側のポジションを取ろうと、ロバたちが
競争を始めます。

なぜか猛然と走りだしたり、喧嘩のようにかみ合ったりするのです。
壁に押し付けられたり、自分の足が並んだロバの腹にこすりつけられたり、
となりの乗り手の足とぶつかったり。
抜きつ抜かれつの大騒動です。

アメリカ人の女の子たち6、7人といっしょでした。ほとんど聞き取れませんが、
声をかけあったり笑ったり、レース気分で楽しんでいる様子。
曲がり角では、ときどきロバが脚を踏み外します。4本あるので転ぶことは
ありませんでしたが、ちょっとどきりとすることも。

20~25分ほどがかなり長く感じます。愉快でした。

サントリーニに船で近づいていく光景は感動的でした。

ショータイム

こんなショー(余興)をやってるんですよ。
これは「ミスアフロディテ」コンテストの模様です。
子どもを連れてこないというのが了解事項なのもうなづけます。



まず司会者の呼びかけに応じて、十数名の女性が舞台に上がります。
名前と出身国が紹介されます。日本人は4人でした。
2人ずつ名前を呼ばれて、セクシーウォークとポーズを披露します。
これが予選で、4人が残ります。ビデオはここからです。
(残念ながら日本人は全員予選落ちでした)
残った4人に、好きな俳優は誰ですか、という質問があり、
ジョージ・クルーニー、リチャード・ギア、トム・ハンクス、
最後は誰と言ってます?
俳優の名前があげられると、観客のなかからそっくりさんが
舞台にあがります。
決勝戦のゲームはごらんのとおりです。

舞台に上がるときは何も聞かされていなかったそうです。
欧米の人たちは少しは予想できてたのかな。
すばらしい美貌の持ち主もたくさんいましたが、そういう人たちは
なぜか舞台に上がりませんでしたね。

ここでクイズです。
優勝者は拍手による人気投票で決めるのですが、4人のなかで
もっとも人気があったのは誰でしょう?
決勝のゲームの順番でお答えください。
皆さんの投票をお待ちしております。

2011年5月29日日曜日

船の名前はルイス・マジェスティです

パトモス島からもどって、まずは入浴。午前中は広大なエフェソス遺跡を
歩き回ったので、汗をかきました。お湯につかりながら、Tシャツを洗濯。
洗濯といっても、シャンプーをつけて泡を立てからすすぐだけ。
きのうは靴下、おとといは下着を洗いました。
2週間の旅ですが、機内持ち込みの手荷物だけで済まそうとすると、
マメになるしかありません。

ここは迷わずバスタブつきのキャビンを洗濯、いえ選択して正解です。
むろんシャワーだけの部屋より、いくらかお高くなります。
しかしたいした差額ではありません。
案内によると客室の合計は731(定員は1800人)のうち、
バスタブを備えているキャビンは22室しかありません。
ようするに早い者勝ちです。

ツアーの人たちは旅行社が安く仕入れた団体向けのキャビンのようです。
元の部屋が団体割引になっていたのでは、差額を払っても風呂付の部屋に
してもらうのは無理でしょうね。

テンダーボートの整理券をもらう列に並んだとき、添乗員さんたち3人と
いっしょになったので、少し話をしました。
(船が接岸できない小さな港では沖に停泊して、テンダーボートで陸に
連れて行ってもらいます。一度に乗れるのは70人くらいから150人くらいまで、
先のボートに乗れば、それだけ早く上陸できます。
船主催のオプションツアーに参加する客が優先です。
一般客はそのあと。停泊時間は行き帰りを合わせて、4時間から5時間
くらいしかありません)

「エフェソス遺跡はどうでした? ガイドさんの日本語は大丈夫でしたか?」
添乗員の一人からたずねられました。
オプションツアーには、どの旅行会社のお客さんも混じっています。
エフェソスツアーには、この場にいなかったもう一人の添乗員さんが
代表でついて来ていました。

「とてもよく通じたし、楽しかったですよ」
「ときどきなに言ってるかわからない人がいるよね」
「遺跡のあと、革製品の工場とみやげ物屋の2件に連れて行かれたのが、ちょっと」
「2件ですんだらいいよ。3件のこともあるから」
「革製品のほうは、まずファッションショーを見せられるんです。
そのあと販売ですけど、ガイドのセクチュクが、私が交渉してあげますと言いながら、
真剣な顔で勧めるんですよ」
「やばいね。それ」
「お客さんに伝わるようじゃ困りますね」
「私もアルバイトでガイドをしていたことがあるから、気持ちはわかります。
でも、ガイドをしているときの愛想のいい顔と表情も雰囲気もまるでちがいますからね。
必死も必死というか、選挙に落選しそうな候補者くらい、余裕がなくなってましたね」

私も心のうちで、みんな買ってあげればいいのにと、無責任なことを思っていました。
買ったのは2組だけだったから、ひどく気落ちした顔をしていました。
もしかしたら、お店の人から「これからは中国語でも勉強したほうがいいんじゃないか」
くらいの皮肉は言われたかもしれません。

そういえば、ついてきた添乗員がガイドと顔を合わせてまず最初に、
「きょうはファッションショー行くの?」ときいていたのを思い出しました。
そのときは何のことかわからなかったけど、添乗員にも役得がありますからね。

「クルーズは普通の旅行より、添乗員さんたちのお仕事が楽なんじゃないですか」
とたずねると「そんなことは全然ありません」3人がそろって答えました。

「横並び志向というのかな。みんな同じじゃないと気がすまないんですよ、日本人は。
パンにまぶしたゴマの数まで同じにしないと文句を言われるって、
この前行ったレストランでは、マネージャーに笑われました」

話は変わりますが、船の中は食べ物が無料なので、どうしても食べ過ぎてしまいます。
船から下りたら、自然とダイエットになるとは思いますが。

クイズ


今朝は早起きしてトルコのクシャダス(クサダシ)に上陸して
エフェソス遺跡を見てきました。
ローマ時代の遺跡ですが、さすがに今回のクルーズの華といわれる
(あるツアーの添乗員さん談)だけあって、見ごたえがありました。

今、船はパトモス島の沖に停泊していて、私は島のインターネット
カフェにいます。

このクルーズには日本から4組のツアーが乗り合わせていて、
おかげで日本人スタッフによる合同説明会あり、日本語の船内新聞
まで発行されていて、大助かりです。

これがなければ、今回もドタバタが始まっていたでしょう。
スムーズにことが運びすぎて、もの足りないと言ったら、
贅沢すぎますが。

乗船するさいに私の前に並んでいた韓国人家族は大丈夫かな。
その後、顔を見かけておりません(なにしろ広いですし、
千人以上の乗客がいます)。
韓国語の船内アナウンスや新聞もないようなので、よけいな
お世話かもしれませんが、気がかりです。

ここで皆さんに質問です。私の船室はどれでしょう。
当てた方には豪華お土産を進呈できるかも。
上から何番目のデッキの左から何番目というふうに答えてください。
一番うえの人が立っている場所とその下のガラス窓の回廊は船室では
ありませんので、除外してください。
それでは皆さんのご応募をお待ちしております。

2011年5月28日土曜日

ドタバタ3





船の中ではインターネットがつながらなかったので、
ミコノス島のカフェで書いています。

バス停まで駆け出したのはいいのですが、駐車マナーの悪いこと。
歩道と歩道のあいだをふさぐようにして停めてあるので、
いちいちでこぼこの車道に出て、柵のすき間を抜けないと歩道に
もどって来られません。
ようやくバス停にたどり着いて、息をきらしてベンチに座り込むと
となりに腰かけていたテッサ(70歳)が声をかけてきた。
きれいな英語で、なにかお役に立てるかしら?と言うので、X96バスは
まだですか、とたずねると、まだのようね、という返事。
「やった!」
「どちらから?」「日本です」「もう20年もイギリスの
サウスハンプトンで暮らしていてね」「どなたかお子さんと?」と
いう会話をしているうちに、テッサのバスがやってきました。
こんなシーンどこかで見たな。
フォレスト・ガンプがベンチに腰かけていると、バスを待つ人たちが
入れ替わりに話しかけてくる。
私に話しかけてきたのは一人だけだけど、時間はどんどん過ぎていく。
もう18:20だぜ。
何かおかしくないか。
もうすぐ18:30。
もしかして、まずい状況じゃないですか?

話は変わります。
すっかりやられちゃいました。
蚊です。手にも顔にも5、6箇所。そのうえ一晩中物音が続いていたので
すっかり寝不足。なんだったんでしょうか。鉄製のドアが
開け閉めされるガチャーンという音とマージャン牌をかき混ぜる音の二重奏。
そしてカミナリ。
ここはいったいどこなんだ? 思わず笑ってしまいました。

朝食をとりに降りていくと、フロントにおばさんが一人。
あいさつをしても、ふんと顔をそむけました。
ダイニングにいるおばさんも同じくらい無愛想。
コンチネンタルの朝食なのに持ってくるのに10分。
コーヒーを待ちくたびれて席を立つ。
時間がないからと声をかけても、返事はむろん、顔さえ向けようともしない。

きのうのオヤジはいい奴でしたよ。
バス停からもどって「間に合った」と言うと、たいそう喜んでくれました。
少ないけどお礼させてほしい、と紙幣を渡そうとしても、
がんとして受け取りませんでした。

ちょっとさみしい気持ちでチェックアウトをすませ、ロビーで
8:30に迎えに来てくれるはずのシャトルサービスを待ちます。

来ません。
旅とはそういうものです。
人生そのものです。

通りを下っていけば、港はもう見えているではありませんか。
たいした荷物はありません。駆け出す必要もありません。
ゆるゆると歩いて行きましょう。
潮風が心地よいのですから。

2011年5月27日金曜日

ドタバタ2


泊まるはずだったホテル、予約サイトの口コミ評価が抜群で、しかも格安。
期待してたんですけどね。

とにかくタクシーに乗りました。
到着したホテルは、見かけからして格安の雰囲気がただよっています。
フロントにオヤジが一人座っていますが、ほかに人けはありません。
いかにもヒマそうだから、チェックインのついでに
「バスに置き忘れた帽子をとり戻したい」と言ってみます。

一度目はやる気があるような、ないような顔つき、おいおい聞き流さないでくれ。
もう一度お願いすると「トライだけね」と言って
どこかしらに電話をかけ始める。バス会社の担当部署をたらいまわしに
されている様子で、3箇所に電話をしてから、首を横にふる。
「部屋で待っていてくれ。もうちょっと頑張ってみるから」

なかなかいいオヤジではないか。
旧式のエレベータで4階へ。
ドアは手動の最大2人乗り。右手が降り口で、そちらにはドアもない。
建物の壁がむきだしなので、そこに手をついたまま動き出したりすると、
手のひらをすりむいてしまいますよ。
日本ではけっして見かけないタイプで、なかなか楽しいです。

そして部屋。せまいです。6畳ありません。
小さなすりガラスの窓の外の50センチ先には、となりの建物の壁がせまっています。
暗いので電気をつけるとさわさわするのは、羽虫たち。
蚊じゃないよね。
換気のためでしょうが、窓は閉めておいてほしかったです。

ベッドに腰かけて、しばし沈黙。Easyjetといいホテルといい、格安づくめの
旅ですから、まあこんなものでしょう。
成田-フランクフルトはJALでしたが、特典航空券なので、なにより格安。
フランクフルト-ベルリンはAirBerlinという格安航空会社。
どちらも悪くなかったんだけどな、とため息。
JAL機内ではアテンダントさんと話もはずんで、メッセージカードをもらったし。

電話が鳴りました。
「帽子があったそうだ。取りに行くか?」
「どこでも行きまっせ」
帽子を乗せたまま終点で折り返して、バスが空港に向かっているところだ。
DIMOTIKOのバス停に到着するのが18:10だから、今から走れば追いつけるぞ。

マジっすか。
元のホテルからも、タクシーで5分ほど遠ざかってるんですけど。

「走れ! グッドラック」
「タクシーを…… わかりました。走ります」
20代だったら、せめて30代だったら、どうってことはありませんけどね。
初老の腰痛もち。
正直きつい。でも旅とはこういうもの。
駆け出すことにしました。