2010年7月29日木曜日

自己紹介

昨日は、UPLINKが主催する「デジタルビデオ講座」の1回目だった。
二人一組になって、自己紹介をたがいに撮影しあい、それから大画面のTVに映して全員で鑑賞した。

以前、「カルチャセンター運営」ワークショップに参加したときは、テーブルに向かい合った同士が、相手の似顔絵を描き、グループ全員に見せながら、他己紹介(推測をまじえ、印象だけで相手の紹介をする)をおこなった。「じつはこの方には、○○というとんでもない特技がありまして」とか「こう見えても、奥さんがすごい美人なんです」とか、けっこういい加減なことを言いあうので、参加者の緊張がほぐれて、すぐにいい感じの雰囲気になったのを思い出した。

自己紹介を撮影しあうというのは、撮る側はカメラマンであると同時に監督であって、どう演出するか任されている。そういう意味で、ある種の「他己紹介」と言えないこともない。楽しいひと時をすごすことができた。

渋谷まで来るのに、横浜で東横線の特急に乗った。うまい具合に座れたが、菊名でとなりの席が空くと、三人組のひとりが座り、かなりの大声でおしゃべりを始めた。男性一人、女性二人の、男性が当然のように座ったので、女性たちはすぐに降りるのだろうと思っていたが、武蔵小杉、自由が丘と来ても降りる気配がない。

「そもそもアンケートが水曜か木曜しか選択肢がないんだから」
「なぜか水曜なんだよね。土日とかないんだよ、けっきょく」
「京都のステージ、おぼえてる?」

聞きたくなくても聞こえてくる話をつなげると、これから、あるバンドのライブに行くところらしい。なかでもマサ氏に話題が集中している。

「あのときは、マサも意識しすぎだったよね。目を合わせてくれた?」
「とりバンでそんな意識するわけないじゃん。メリットないもん」
「おれは最初と最後に目があったな」
「うそ、私が目を合わそうとすると避けるのよ」

あまりにうるさいので「もうちょっと静かにできませんか」とのどまで出かかった。
むろん小心者の私はがまんする。

「最近、吹いてるときの腰の動きがさあ」
「変わったね。上下してるよね」
「意識してたら、できないしょ。無我の境地か」
「いえいえ、あれでさあ」
「曲が終わったあとの表情ね。わかってますって」
「ものうげな……」
「セクシーなオレ」

ふいにひらめいた。この三人組はほんとうはSEXの話をしているのだ。
その気になって聞いていると、すべてが隠喩にきこえてくる。
となりの男の名前が近藤だというのも、偶然ではあるまい。

おかげで、渋谷に着くまでの10分は空耳アワーを楽しむことができた。
むろん腹の虫もおさまった。

ハチ公前の交差点を渡り、坂をのぼって行くうちに、
「そうだ、アテレコもいいな」と思いついた。
ビデオでなにか作品を作らなくてはならないのだが、アイデアが浮かばなくて
困っていた。

アテレコなら映像とセリフが合ってなくてもかまわない。
音声を消してTVの画面を見ながら、勝手なセリフをしゃべる、あれだ。

――そんなことを考えながら、ここにやってきました。
よろしくお願いいたします。
私は相方のビデオカメラに向かって、頭を下げた。

2010年7月19日月曜日

目くじら立てないで

 ひさびさのお休みなので、寝床でごろごろしていたが、ビン、缶、ペットボトルを捨てる日なのを思い出して、起きることにした。ビン缶はなかったので、ペットボトルを3本袋につめて、三角公園の前の収集場所までもっていく。

 日差しがまぶしい。「さすがに夏だね」
 ビールの空き缶や清涼飲料水の容器でふくれあがった袋の山。
 てっぺんに、小さな袋をそっとのせる。

 家にもどってPCの前に座る。さっきより薄暗く感じられる部屋のなかで、問い合わせのメールに返事をし終わってさてと、窓を開けてみる。白日にさらされた廃棄物の小山が目に入った。
 はて?と見返してから思い出したとことがある。忘れないうちに書いておこう。

 ゴールデンウィークの旅の最終日、未練がましくフランクフルト空港のなかをうろついていると、なぜか人けのないロビーを見つけた。ひと息つくことにして近くの売店でコーラを買う。30分ほどかけて、スマートフォンで数日分の日記をつけ終わる。

 飲みかけにしていたコーラを飲み干してから立ち上がり、ペットボトルの表示のあるゴミ箱のところまで行って放りこむ。そのまま席にもどろうとした背後に人の気配を感じてふり向くと、あごひげの男がやってきて、捨てたばかりの500ミリのペットボトルを拾い上げて、リュックサックに入れて持ち去った。

 なんという早わざ。捨てるのを待ち構えていたかのようではないか。きっとそうなのだ。今か今かとやきもきしながら、どこかから私の様子をうかがっていたにちがいない。私が立ち上がって、ゴミ箱のほうに足をむけたとき、男は心のなかで「よっしゃ」と小さくガッツポーズをしたかもしれない。

 勝手がわからないおのぼりさんだろうと見当をつけて、気長に待っていたのだろうか。売店で買うときにデポジットの25セント(30円ほど)が加算されたのは知っていた。財布の小銭を減らすために買ったようなものだから売店まで足を運んで、25セントを返してもらうつもりはなかった。

 気づかないうちに観察されていたのは、よい気持ちがしないが、監視カメラだらけの今の世だから、目くじらをたてても始まらない。彼にささやかな喜びを与えることができたのなら、それでよしとしよう。

 私より一回り若く見える彼が背中にしょったリュックサックには、ふくらみ具合からして10本ばかりのボトルがつまっていた。いっぱいになるごとに交換に行くのかもしれないが、夕暮れ時がちかづくこの時刻までに、どれだけの稼ぎがあったものやら。

 ベルリンの街中でもビン集めの男を見かけた。公園のベンチに座っていると、自転車に乗った男がちかづいてきた。馴れた手つきでそばのゴミ箱をさぐって、何もとらずに去っていったが、自転車のかごに5、6本のガラス瓶が入っているのが見えた。身なりで判断をしたくないが、楽な生活をしているようには見えなかった。

 私は売店に行き、もう一本コーラを買った。
 席にもどり、封をきらずにそばにおき、また彼がやって来ないだろうかと、ちらちらあたりに目を走らせる。どこかからそっと様子をうかがっているのではないかと、そ知らぬふうを装いながら、神経をとがらせていたが、とうとう彼の姿を見つけることはできなかった。

 なにしろ空港は広いのだ。もうひとつのターミナルへ移動してしまったのかもしれない。「よかったら中味もどうだい」と言って手渡したかったのだが、そろそろチェックインをすませたほうがよい時刻だ。手をつけていないボトルをその場にのこして、荷物を背負う。

 「あいにく、体によくないそのアメリカの飲み物は苦手でね」
 男はそう答えるんじゃないか、そうしたら「ビールならOKかい」と一杯誘ってみるのも面白いだろう、などと想像をふくらませていた自分がおかしい。

 つまらない自己満足のために馬鹿なまねをするのは毎度のことだ。
思い出すたびに恥ずかしくなる。チェックインをすませて、JALのラウンジに入る。
「偽善と呼ぶのもおこがましいか」
ビールのグラスを手に、乾燥納豆をかじりながらつぶやいた。

2010年7月14日水曜日

機内サービスあるいは…

 そういえばこんなサービスに出会いました。

 フランフルトから成田に着き、帰宅せずに羽田経由で松山便に乗ったときのこと。
 乗客が全員席に着いた出発間際になって、見たところ70代なかばの老人が乗りこんできた。
最初からなんとなく不機嫌で、CAさんが荷物を棚に上げるのを手伝おうとするのに、
「私にだってできるんだ。背は低いけどな」と言って、バッグと手提げを渡そうとしない。

出発時刻をすぎているので、CAさんとしては、さっさと席についてほしいだろうに、
老人はわれ関せず。時間をかけて荷物を収納し終えて席に着いたと思ったら、
今度は「新聞をもってきてくれ」。
「あいにく今年の1月5日で廃止になりまして」
「けしからん。そんな話は初耳だ」でひと悶着が始まった。

 通路をはさんで私の斜め前、非常口そばが老人の席だった。機が動きだしても
老人の不満はおさまらない。老人と対面して着席したCAさんが
「いたらないことが多くて申し訳ありません」と声をかけると、ここぞとばかりに
JALの悪口を並べ立てはじめる。
「あんたらは客が求めてるのが何だかわかってないんだろ。教えてやるよ、早い、安い、安全だ」

 「それじゃあファストフードとかわんないよ」と突っ込みたくなるようなことから
「前の社長が何々をして、その前の社長があんなことをして」と、どこで聞きかじってきたのか、
というしたり顔の話がつづく。

 タキシングを始めていくらもたたないうちに機が停止してしまったので、
老人の独演会は止まらない。十数分たったころ、呼び出し音が鳴ってCAさんが受話器をとる。
「出発便が混雑していて、この機の離陸はこれから7番目になるそうです」
受話器をおいたCAさんが、申し訳なさそうに伝える。
 ため息のような気配があたりに広がるが、老人ばかりは意気軒昂だ。

 私の席からCAさんの顔が正面に見える。とてもチャーミングな方で、
老人の失礼な物言いにも、けっして笑顔をたやさない。

 「あんたねえ、スチュワーデスでしょうが。ちがうの? なんとかアテンダトとか、
気取るんじゃないよ」
 「どうして、そんなふうに思われるんですか。気取ってなんかいませんよ」
 CAさんは余裕の表情さえうかべて答える。

 「あんたらは知らんだろうが、エアホステスと呼ばれてたこともあるんだよ」
 いつの間にか、うれしさで老人の声がデレっている。

 ようやく離陸し、水平飛行に移ったが、気流の関係で、いつまでたっても
ベルト着用のサインが消えない。CAさんも席を立てない。老人には天国である。
 それでも、いつかはサインが消える。CAさんはにっこり微笑んで席を立った。
 前方でCAさんとチーフCAさんが言葉を交わすのが見えた。

 チーフがやってきた。お辞儀をしたあと、床にひざをついて老人の前にしゃがむ。
 「なんだ、あんた」老人はとまどった様子。
 「Sがとても有意義なお話をうかがったと喜んでおりました。よろしければ、私にもお聞かせ願えませんか」
 「チーフに言いつけるなんて、Sちゃんもひどいな。あんたに話すようなことじゃないよ」
 いかにもデキル女タイプのチーフのTさんに、老人も気後れしている。
 「どうしても駄目ですか。私もぜひ参考にさせていただきたかったのですが」
 「そこまで言うなら、話してあげるけど。あんたが話せというから話すんだよ」

 結論から言うと、このあと着陸前のベルト着用サインが点灯するまで、
チーフはその姿勢をくずさず、老人の話し相手をつとめていた。
 フランクフルト往復のFクラスの機内でも目にすることのなかった「伝説」のひざまずくポーズのまま、
およそ40分くらいものあいだである。

 話を聞いてもらえることほど、年寄りにとってうれしいことはない。
アルツハイマーの母との6年間で、私には身にしみている。
「元気なときになんでもっと会いに行って、話を聞いてあげなかったのか」という後悔の念がよみがえってきた。

 トイレに立ったついでにギャレーをのぞくとSさんがいた。
 「たいへんでしたね」
 「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。どうぞ空いている席に移って…」
 「感動しました。こんなすごいサービス、初めてです」

 着陸前にSさんがもどってきて着席した。老人は「チーフにもお礼を言われたよ」と
得意げである。着陸し、搭乗口で停止するまで、老人はご満悦でしゃべり続けていた。
 Tチーフがつきっきりだったのは、おそらく要注意人物から目を離したくなかったからだろう。
とにかく老人は満足だったにちがいない。

 病院に行き、私のことも見分けがつかない母につきそい、翌日の便で横浜へ。
 一週間後に母が亡くなった。そのせいか印象にのこるフライトだった。

2010年7月13日火曜日

飛行機好き

 母の四十九日で里帰りしました。新盆は弟にまかせることにして、とりあえず私はお役御免。様子見のための毎月の里帰りがなくなって、ちょっとさみしいのは、不謹慎かもしれませんが、もう当分飛行機に乗ることがないことです。

 マイルがたまったので特典航空券で、ゴールデンウィークにドイツ・チェコに出かけたのも含めれば、今年の搭乗回数は18回で、これ以上伸びないかな。子どものころからの飛行機好きで、学生時分は帰省するのに直行便に乗らないで、大阪、福岡などを経由して帰るなどという馬鹿なこともやっていました。

 2年ぶりのフランクフルト往復では、行きの便のキャビンアテンダント(CA)さんがなかなかよい印象でした。たまたま通りかかったCAさんに「いまどのへん飛んでるのかな」と聞くと、「シベリア上空だと思いますが、ただいま機長に確認してまいります」。わざわざ調べに行ってくれたうえ、地図帳をもってきて詳しく説明してくれました。窓の下になかば凍った湖が見えたので「あれがこの○○湖かな。絶景だけど、住みたくはないよね」とか、ヒマにあかせてつまらない無駄話をしても、いやがらずにつきあってくれます。

 食事のあと「調理を担当した○○です。お肉の焼き加減はいかがでしたか」と声をかけてくれたので、「○○さんなの! だったら食べる前に教えてほしかったな。こんな美人が作ってくれたと知ってたら、もっと味わって食べたのに」と、どうしようもないオヤジぶりを発揮しても、「んなこといっても、何もでないよ、お客さん」と返さないのがさすがです。

 お腹のところで両手をかさねて「おそれいります」お辞儀をする姿のなんと優雅なこと。私なんか生まれてから一度も使ったありませんよ、「おそれいります」なんて言葉。勉強になりました。

 JAL応援してます。がんばってね。