2010年7月19日月曜日

目くじら立てないで

 ひさびさのお休みなので、寝床でごろごろしていたが、ビン、缶、ペットボトルを捨てる日なのを思い出して、起きることにした。ビン缶はなかったので、ペットボトルを3本袋につめて、三角公園の前の収集場所までもっていく。

 日差しがまぶしい。「さすがに夏だね」
 ビールの空き缶や清涼飲料水の容器でふくれあがった袋の山。
 てっぺんに、小さな袋をそっとのせる。

 家にもどってPCの前に座る。さっきより薄暗く感じられる部屋のなかで、問い合わせのメールに返事をし終わってさてと、窓を開けてみる。白日にさらされた廃棄物の小山が目に入った。
 はて?と見返してから思い出したとことがある。忘れないうちに書いておこう。

 ゴールデンウィークの旅の最終日、未練がましくフランクフルト空港のなかをうろついていると、なぜか人けのないロビーを見つけた。ひと息つくことにして近くの売店でコーラを買う。30分ほどかけて、スマートフォンで数日分の日記をつけ終わる。

 飲みかけにしていたコーラを飲み干してから立ち上がり、ペットボトルの表示のあるゴミ箱のところまで行って放りこむ。そのまま席にもどろうとした背後に人の気配を感じてふり向くと、あごひげの男がやってきて、捨てたばかりの500ミリのペットボトルを拾い上げて、リュックサックに入れて持ち去った。

 なんという早わざ。捨てるのを待ち構えていたかのようではないか。きっとそうなのだ。今か今かとやきもきしながら、どこかから私の様子をうかがっていたにちがいない。私が立ち上がって、ゴミ箱のほうに足をむけたとき、男は心のなかで「よっしゃ」と小さくガッツポーズをしたかもしれない。

 勝手がわからないおのぼりさんだろうと見当をつけて、気長に待っていたのだろうか。売店で買うときにデポジットの25セント(30円ほど)が加算されたのは知っていた。財布の小銭を減らすために買ったようなものだから売店まで足を運んで、25セントを返してもらうつもりはなかった。

 気づかないうちに観察されていたのは、よい気持ちがしないが、監視カメラだらけの今の世だから、目くじらをたてても始まらない。彼にささやかな喜びを与えることができたのなら、それでよしとしよう。

 私より一回り若く見える彼が背中にしょったリュックサックには、ふくらみ具合からして10本ばかりのボトルがつまっていた。いっぱいになるごとに交換に行くのかもしれないが、夕暮れ時がちかづくこの時刻までに、どれだけの稼ぎがあったものやら。

 ベルリンの街中でもビン集めの男を見かけた。公園のベンチに座っていると、自転車に乗った男がちかづいてきた。馴れた手つきでそばのゴミ箱をさぐって、何もとらずに去っていったが、自転車のかごに5、6本のガラス瓶が入っているのが見えた。身なりで判断をしたくないが、楽な生活をしているようには見えなかった。

 私は売店に行き、もう一本コーラを買った。
 席にもどり、封をきらずにそばにおき、また彼がやって来ないだろうかと、ちらちらあたりに目を走らせる。どこかからそっと様子をうかがっているのではないかと、そ知らぬふうを装いながら、神経をとがらせていたが、とうとう彼の姿を見つけることはできなかった。

 なにしろ空港は広いのだ。もうひとつのターミナルへ移動してしまったのかもしれない。「よかったら中味もどうだい」と言って手渡したかったのだが、そろそろチェックインをすませたほうがよい時刻だ。手をつけていないボトルをその場にのこして、荷物を背負う。

 「あいにく、体によくないそのアメリカの飲み物は苦手でね」
 男はそう答えるんじゃないか、そうしたら「ビールならOKかい」と一杯誘ってみるのも面白いだろう、などと想像をふくらませていた自分がおかしい。

 つまらない自己満足のために馬鹿なまねをするのは毎度のことだ。
思い出すたびに恥ずかしくなる。チェックインをすませて、JALのラウンジに入る。
「偽善と呼ぶのもおこがましいか」
ビールのグラスを手に、乾燥納豆をかじりながらつぶやいた。

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