2010年8月16日月曜日

映画『ANPO』

六本木の森美術館で映画『ANPO』を観た。
アート作品をとおして60年安保闘争に出会ったアメリカ人の監督が、アート紹介と制作者へのインタビューという手法で描き出す安保と50年を経た日米関係の現状は、見ごたえがあった。監督の心の動きを追体験していると錯覚しかねないほどだった。懐古趣味ではなく、歴史のどこかに居場所を見つけようという試みでもない。まさに現在と向き合うための手ごたえを感じさせてくれる作品だ。

監督のリンダ・ホーグランドさんは、日本で生まれ育ったアメリカ人である。60年代に山口と愛媛で公立学校に通っていたそうだ。と、ここまで書いてから、あんがいご近所さんだったり――と軽い気持ちでネットを検索してみると、予感が的中した。あるインタビュー記事によると、映画を自分にとって特別なものと認識したのは、小学6年生のとき松山で観た今井正監督の「橋のない川」だった、とある。私が「橋のない川」を観たのは、中学1年のときだった。そこに描かれた理不尽な差別に衝撃をうけた。恥ずかしい言い方だが、社会正義にめざめた。まさかおなじ町に住むアメリカ人の少女が、似たような体験をしていたとは。

「橋のない川」を観に行ったのは、学芸委員として、学年で団体鑑賞する映画を選ぶための下見だった。私は授業を休む許可を得ていたものの、友人の金田君を「いっしょに観に行こう」と勝手に連れ出したのがばれて、教師にこっぴどく叱られたことまで、40年ぶりに思い出してしまった(恥多き人生である)。

その日、場内に金髪の少女がいたかどうかは覚えていないが、アメリカ人の姉妹のうわさは耳にした覚えがある。街で白人の少女を見かけた記憶もある。当時、あの町にほかにアメリカ人一家が暮らしていたという話は聞かない。おそらく彼女か姉妹とすれちがったことがあるわけだ。

おなじ時期におなじ町で暮らしていた者として、ホーグランド監督が日本人の集団のなかにあって、どういう偏見と好奇心に晒されて学校生活を送っていたかは、容易に想像がつく。子どものころの体験が、日米関係のあり方に対する鋭敏な感覚を育んだにちがいない。

映画『ANPO』に話をもどすと、画面に映しだされるアート作品が魅力的なので、アートのもつ力に感じ入った。しかしながら我が身を顧みるに、映画で紹介されたアート作品の展覧会がどこかで開かれていて、私がそこに足を運んだとする。もしこの映画を観る前に、アートの実物と向かい合ったとして、映画ほどの感銘をおぼえただろうか。興味深く眺めるにはちがいないが、「こんな時代」「あんな時代」のひきだしの一つに感想をしまいこんで、それっきりにしてしまいそうだ。

映像上に複製されたアートが、実物以上に力をもつこともあり得る。場面を組み合わせ、音楽を入れ、言葉の力も借りる、これらを総合して作品を創りあげたホーグランド監督の映像作家としての力量に敬服するばかりだ。

私といえば、普天間基地の問題がメディアをにぎわすと、憤慨してみたりはするものの、日米関係のあり方が本質的に変化するなどとは期待していない。鈍感である。映像を目の前に突きつけられてようやく、想像力の貧困と、他者への共感を欠く自分というものを、あらためて認識させられた。

2010年8月11日水曜日

ドキュメンタリー

このブログのタイトル「違和感なしには生きられない」は、15年前にビデオで撮ったドキュメンタリのタイトルです。
ビデオそのものは、NHKのBS2で放送してもらって以来、見返すことがありませんでした。
最近になって、趣味を復活させようと「デジタルムービーワークショップ」なるものに通っています。
そこで古いVHSテープを引っ張りだしてきて、再生してみました。

テープの保存状態もよくないので、まともに再生できないのではと心配しましたが、なんとか見られます。せっかくの家族の記念なので、デジタル化しておくことにしました。
お暇でしたら、見てやってください。



順玉さんも若かったですね。


長くて申し訳ありません。