2010年6月25日金曜日

「ミッドライフ・クライシス」

 おととい、日経ビジネスオンラインで「男と女のミッドライフ・クライシス」という吉原真理さんのコラムを読みました。「ミッドライフ・クライシス」はアメリカではポピュラーな概念だそうです。日本語で言えば「中年の危機」ですね。

「あるときふと、「自分の人生はこれでいいのだろうか」とか、「こんなふうに、敷かれたレールに乗った人生を送ることが幸せだと言えるのだろうか」とか、「自分は妻/夫を本当に愛しているのだろうか」とかいった疑問を抱き始める。

 体力や容姿においても、20代のときの自分と比べるとあきらかな低下が見られるし、自分の能力を含めた現実をかんがみて、残りの人生でできることを冷静に考慮するようになる。そうしたことをいったん考え始めたら、焦りや圧迫感で、いてもたってもいられなくなる。それがミッドライフ・クライシスである。」


 なるほど。まさに私のことです。「中年の危機」と聞くと、うつとか不倫とか、なんだかやばそうなことを思い浮かべてしまう私ですが、「ミッドライフ・クライシス」のほうは響きがいいじゃないですか。映画のタイトルみたい。このさいどっぷり浸かってみましょうか、なんて気になっちゃうかも。ありふれたものだとわかったからといって、慰めにはならないわけで、いっそのこと開きなおっちゃおうじゃないですか。

 いえ「中年」にせよ「人生のなかば」にせよ、とっくに越えてしまってますよ。日々、老いを感じております。あせっております。この数年間、じょじょに記憶を失っていき、最後には私の顔も見分けがつかなくなってしまった母を訪ねるたびに、のしかかってきた苦しさは、母にたいする哀れみばかりではなかったはずです。自分の明日の姿におそれをなしていたのです。

 「ミッドライフ・クライシス」のご同輩たちがどういう症状を見せるのか、もう少し吉原さんのコラムから引用してみましょう。


 「まずは、やけに若作りな髪型に変えるとか、髪を染めるとか、急にジムに通って身体を鍛え始めるとか、強壮剤を飲むとか、シワ取りや整形手術をするとかして、身体的に若返ろうとするパターン。

 これと関連してよくあるのが、これまで子どもの送迎に使っていたセダンやステーションワゴンをコンヴァーティブルのスポーツカーに買い替えるとか、自転車で通勤することにして車を売ったお金でヨットを買うとかして、ライフスタイルの変化を主とするパターン。

 より本格的な人生改革としては、それまでの会社勤めを辞めて自分の店を始めるとか、高い収入や地位の専門職を捨てて教師や社会奉仕事業に転職するとか、それまで趣味でやっていた音楽や執筆を本職にしようとするとか、あるいは仕事を辞めてしばらく旅に出るとかいったケースもよくある。

 より自己破壊的な形のミッドライフ・クライシスの表出としては、アルコールや薬物への依存症といったものがある。

 圧迫感や鬱屈感の生産的な解消法が見つけられない男女がこうした道をたどる。また、中年期に入って急に性に目覚め、まるで気が狂ったかのように、相手を見つけては片っ端から性交渉をもつといった例もあるが、タイガー・ウッズの例に見られるように、これも一種の依存症である。

 そして、もっともありがちでかつはた迷惑なパターンが、浮気・不倫である。ひとまわりもふたまわりも年下の相手と浮気をするとか、出張先で知り合ったゆきずりの相手と交際を続けるとか、職場の秘書と関係をもつとかいったケースが多い。同窓会で昔の恋人や友達と再会し、焼け木杭に火がついてしまうこともある。」


 週に1回は家から仕事場まで歩いて行ったり、朝だけはエレベータを使わないで6階まで上がるというのは、ささやかですが「身体的に若返ろうとするパターン」と当てはまるかもしれません。今年になって5キロやせましたからね。「わるい病気にかかってるんじゃないの」とか、心配されたりすることもありますけど。

 一人で海外旅行にでかけたり、伊東先生のドイツ語講座に出席したり、7月から始まる半年間デジタルビデオ講座に申し込んだりしてしまうのは、「ライフスタイルの変化を主張するパターン」でしょうか。

 ありがたいことにアルコールや薬物への依存症はありませんし、浮気や不倫とも無縁です。一生に一度もそういう経験がないのはさみしい気がしないわけではありませんが、いまさら家庭の平穏をこわしてまで、そんなことをするほど元気ではありません。

 タイトルが「男と女のミッドライフ・クライシス」ですから、コラムの後半で吉原さんは夫婦のあり方について書いてます。


 「そうした最近の研究のひとつによると、お互いに強い「コミットメント」を抱いている幸せな夫婦にとって、そのコミットメントとは、必ずしも相手への愛情とか忠誠心といったものからのみ生まれるものではないらしい。

 むしろ、夫婦間の絆を強めるのに大事なのは、相手と一緒にいることによって、刺激的な経験ができ、自分の世界が広がり、相手のおかげで自分がよりよい人間になれるという気持ちになれると、お互いが感じられること、だそうだ。

 ある実験によると、なにかの課題に一緒に取り組み、困難を乗り越えて最終的に目標を達成したカップルは、そうした経験を共有していないカップルよりも、お互いへの愛情や満足度が高くなる、との結果が出ている。つまり、結婚生活を強化させようと思ったら、問題を避けて平穏な暮らしを送ろうとするよりも、夫婦で一緒になにかにチャレンジし苦労を共有することのほうが効果的だ、ということだ。」


 なんか納得ですね。でも「刺激的な経験ができ、自分の世界が広がり、…よりよい人間になれるという気持ちになれる」というのは、夫婦関係にかぎりません。ミッドライフ・クライシスまっただ中の私が、一人旅をするようになったり、講座に参加して趣味を広げようとしたりするのも、まさに潜在的なこうした欲求の表れだと感じます。
 
 やせ馬にまたがって風車に突撃するようなもので、傍から見れば滑稽でありましょう。それは承知のうえで、自分を感動させるくらいのことはできるのではないかと、願うばかりです。

2010年6月18日金曜日

「20歳のときに知っておきたかったこと」

こんな歳になって気恥ずかしいのですが、自己啓発書の類を読んでいます。若いころは手に取る気にもなれなかったのに、むしろ毛嫌いしていたのに、格好をつけてたんでしょうね、若いころに読んでおけばと思いますよ。

読んでも読まなくても、今さらきょろきょろしない大人になれていれば、よかったのですが。せめて「こんなオレで何がわるい!」と開きなおる度胸があればまだしも。情けないですね。
今朝読み終わったのが「20歳のときに知っておきたかったこと」。著者のティナ・シーリグさんはスタンフォード大学で起業家育成コースを担当しておられます。その演習で出される課題がユニークです。どうすれば無から価値を生み出すことができるかといった難題に、学生たちが挑戦します。出題する側もあらかじめ答えを用意しているわけではありません。成果を上げるには発想の転換が必要です。

具体例はあげません。興味のある方は書店で手に取ってみてください。でも「私もこんな授業を受けたかったな」などとつぶやいたら、ティナさんに叱られますよ。「チャンスは無限にあります。いつでも、どこでも、周りを見回せば、解決すべき問題が目に入ります」「いまある資源を使って、それを解決する独創的な方法はつねに存在する」なのですから。

「ようするにビジネス系啓発本でしょ? ちょっとうさんくさい、あれね」と思われる向きもあるかもしれませんが、金儲けを成功の尺度にしている本ではありません。

「従来の考え方に閉じこもり、ほかの可能性を排除するのは、信じがたいほど楽なものです。周りには踏みならされた道にとどまり、塗り絵の線の内側にだけ色をつけ、自分と同じ方向に歩くことを促す人たちが大勢います。これは、彼にとってもあなたにとっても快適です。彼らにとっては自分の選択が正しかったことになり、あなたにとっては、簡単に真似できる秘訣が手に入るのですから」

この言葉にどきっとしました。年齢のせいかもしれません。亡くなった母の日記帳を何冊か、田舎からもってきました。30年分ほどの日記帳を見つけましたが、驚いたことに一昨年の分までありました。アルツハイマーが発症してから、年賀状すら来なくなり(筆まめだったのに)、大好きだった家計簿もつけなくなりました。ですから日記を書き続けていたとは想像もしていませんでした。

その母がちょうど今の私の年頃だった30年前の日記に、これからは自分を高めるような生き方をしなくてはならないと、一遍上人やら瀬戸内寂聴やらの言葉を引きながら、かなりの意気込みで書きつけてあります。なんとも血は争えないものです。

しかしその後の日記を飛ばし読みすると、せっかくの覚悟のほどが、どれだけ成果をあげたものやら、長続きしたものやら、母には申し訳ないながら、……はっきり書くのはよしましょう。
私もきっと母と同じ道をたどるのでしょうから。

2010年6月17日木曜日

なんだかこのところ

 2ヶ月ほどのあいだ、私としては忙しい日々が続いていました。といっても2週間のヨーロッパ旅行と母の死にまつわるあれこれを除くと、家と仕事場を往復するだけの毎日です。ですが意識は澄みわたり落ち着き払っているにもかかわらず、意識にならない心の深みであせりといらつきがゆれていて、胃のあたりがむずむずする感じが消えません。

 この6月に誕生日を迎えて、父が亡くなった歳を越えることができました。その数日前、まだ父の最期の歳のうちに母が息を引きとったのも、母らしい心づかいのように思えます。私が楽しみにしていた旅行からもどるまで、待っていてくれたのか、亡くなった翌週にはやはり心待ちにしていたコンサートがあって、その前にとあわてたのか、とにかく突然の、旅行前に病院で「あと数ヶ月は――」と聞いていたのに、せっかちに逝ってしまいました。母にはどちらのことも話してはいなかったのに、なんとまあタイミングを見計らったように、そこまで気をつかってくれなくていいのにと、切なくなりました。