2010年6月18日金曜日

「20歳のときに知っておきたかったこと」

こんな歳になって気恥ずかしいのですが、自己啓発書の類を読んでいます。若いころは手に取る気にもなれなかったのに、むしろ毛嫌いしていたのに、格好をつけてたんでしょうね、若いころに読んでおけばと思いますよ。

読んでも読まなくても、今さらきょろきょろしない大人になれていれば、よかったのですが。せめて「こんなオレで何がわるい!」と開きなおる度胸があればまだしも。情けないですね。
今朝読み終わったのが「20歳のときに知っておきたかったこと」。著者のティナ・シーリグさんはスタンフォード大学で起業家育成コースを担当しておられます。その演習で出される課題がユニークです。どうすれば無から価値を生み出すことができるかといった難題に、学生たちが挑戦します。出題する側もあらかじめ答えを用意しているわけではありません。成果を上げるには発想の転換が必要です。

具体例はあげません。興味のある方は書店で手に取ってみてください。でも「私もこんな授業を受けたかったな」などとつぶやいたら、ティナさんに叱られますよ。「チャンスは無限にあります。いつでも、どこでも、周りを見回せば、解決すべき問題が目に入ります」「いまある資源を使って、それを解決する独創的な方法はつねに存在する」なのですから。

「ようするにビジネス系啓発本でしょ? ちょっとうさんくさい、あれね」と思われる向きもあるかもしれませんが、金儲けを成功の尺度にしている本ではありません。

「従来の考え方に閉じこもり、ほかの可能性を排除するのは、信じがたいほど楽なものです。周りには踏みならされた道にとどまり、塗り絵の線の内側にだけ色をつけ、自分と同じ方向に歩くことを促す人たちが大勢います。これは、彼にとってもあなたにとっても快適です。彼らにとっては自分の選択が正しかったことになり、あなたにとっては、簡単に真似できる秘訣が手に入るのですから」

この言葉にどきっとしました。年齢のせいかもしれません。亡くなった母の日記帳を何冊か、田舎からもってきました。30年分ほどの日記帳を見つけましたが、驚いたことに一昨年の分までありました。アルツハイマーが発症してから、年賀状すら来なくなり(筆まめだったのに)、大好きだった家計簿もつけなくなりました。ですから日記を書き続けていたとは想像もしていませんでした。

その母がちょうど今の私の年頃だった30年前の日記に、これからは自分を高めるような生き方をしなくてはならないと、一遍上人やら瀬戸内寂聴やらの言葉を引きながら、かなりの意気込みで書きつけてあります。なんとも血は争えないものです。

しかしその後の日記を飛ばし読みすると、せっかくの覚悟のほどが、どれだけ成果をあげたものやら、長続きしたものやら、母には申し訳ないながら、……はっきり書くのはよしましょう。
私もきっと母と同じ道をたどるのでしょうから。

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