2010年12月22日水曜日

ESG

時事的な話題にそれほど関心があるほうではないので、Yahooトピックスを読み流してしまっていたが、英字新聞メルマガから配信された「ノーベル平和賞授与式、劉氏欠席のまま挙行」という記事(日本語の訳つきね)を読んでいるうちに思い出した。

「劉氏ばかりか、奥さんまで授与式に出席できないよう軟禁するなんて、みっともないことをするものだ。やっぱりあの国は……」などと、ありがちな感想は2ちゃんにまかせておくとして、それでも日本に生まれてよかったね、などと、いくぶん安心している自分がいたりもするのだが、はてと何かしらひっかかるので、記憶の糸をたぐると、そうそう、こんなことがあったな、というのは25年も前のことであるが、マールブルクにいたころ、あれはたしかESGの集会場でのこと――

ESGというのはEvangelische Studenten Gemeindeの略で、私が一年ほど暮らしていた学生寮の名称である。英単語からの推測で、アメリカにいる超保守の一派と混同されそうだが、ドイツではカトリックに対するプロテスタントのことを、一般的に「Evangelisch」と呼んでいる。無宗教の私がなんでプロテスタントの学生寮にいたかの説明は割愛するとして、韓国からやってきた神学生のSとそこで知り合い、その後長い付き合いになるので、なつかしい場所だ。

Sもいっしょだったはずだが、ある晩、日本からのゲストを招いての集まりがあった。部落開放同盟の、名前は加藤さんだったような気がするが、大阪出身の方だったはずだ、ボンで開かれるおそらくは差別にかかわるシンポジウムにでも参加するためにドイツに来られていたのではないか。マールブルクを訪問されたのはそのついでだったと記憶している。

中学一年のときに今井正監督の「橋のない川」を見て、部落差別というものの存在を知り衝撃をうけた体験があるので、むろん私も出席した。フォーラムが終わってから町へ出て、あるいは翌日だっただろうか、日本人学生の誰かの部屋だったような気がする、加藤さんから話を聞いた。

日本の外務省が加藤さんを入国させないよう、ドイツ当局に働きかけたので、ずっと入国許可がおりなかった。「反社会的な人物」というレッテルを貼られたのだろうが、いろいろな人の助けでようやくドイツ当局の誤解がとけて、ぎりぎりで出発できた。
おそらく役人たちからすれば、日本の「恥」を外国にさらしたくないという「愛国心」から職務を遂行したまでのことなのだろう。ボンで行われたシンポジウムのレセプションにも、こういう役人の同類がいて、ある日本人の大学教授はドイツ人たちに「日本に差別が残っているというはウソだ」とまくしたてていた。訳してもらって知ったのだけど、なんとも言えない気分だね。

というような内容だった。
どこの国にも差別や社会問題があるし、どこの国にも「臭い物にふた」をしたがる人間はいる。都合の悪いことを隠そうとすればするほど、中は膿んでいき、傷口が広がりかねないにもかかわらず。今回のノーベル平和賞にたいする中国政府の反応とその結果がよい見本ではないか。中国政府のヒステリックな反応、ノルウェーを恫喝し、各国に授与式へ欠席の圧力をかける、によって、劉氏の受賞の正当性を自らが立証してしまった。

国内の締め付けはともかくとして、海外に対してはソフトな対応をして、劉氏夫妻を授与式に送りだして、人権に対する配慮もこれだけできるんですよ、とアピールしたほうが、よほど国益にかなっただろう。いずれは民主化を進めざるを得ないことは明らかなのだから、はるかな道筋であっても、あのとき検討を始めておけばよかったと、政府が倒れる間際に後悔することになるかもしれない。

などと、他人のことについて立派なことを言うのはたやすいが、わが身をふり返るとエラそうなことを口にするのは赤面ものである。わりと自分の失敗や欠点をさらけだすは気にならないほうだが、それでも誰にも知られたくないことはあるもので、そこに触れられると逆上しかねないのもわからなくはない。
ESGでもある出来事があったが、ブログに書いたりできるものではないんだな、やっぱ。