2010年7月14日水曜日

機内サービスあるいは…

 そういえばこんなサービスに出会いました。

 フランフルトから成田に着き、帰宅せずに羽田経由で松山便に乗ったときのこと。
 乗客が全員席に着いた出発間際になって、見たところ70代なかばの老人が乗りこんできた。
最初からなんとなく不機嫌で、CAさんが荷物を棚に上げるのを手伝おうとするのに、
「私にだってできるんだ。背は低いけどな」と言って、バッグと手提げを渡そうとしない。

出発時刻をすぎているので、CAさんとしては、さっさと席についてほしいだろうに、
老人はわれ関せず。時間をかけて荷物を収納し終えて席に着いたと思ったら、
今度は「新聞をもってきてくれ」。
「あいにく今年の1月5日で廃止になりまして」
「けしからん。そんな話は初耳だ」でひと悶着が始まった。

 通路をはさんで私の斜め前、非常口そばが老人の席だった。機が動きだしても
老人の不満はおさまらない。老人と対面して着席したCAさんが
「いたらないことが多くて申し訳ありません」と声をかけると、ここぞとばかりに
JALの悪口を並べ立てはじめる。
「あんたらは客が求めてるのが何だかわかってないんだろ。教えてやるよ、早い、安い、安全だ」

 「それじゃあファストフードとかわんないよ」と突っ込みたくなるようなことから
「前の社長が何々をして、その前の社長があんなことをして」と、どこで聞きかじってきたのか、
というしたり顔の話がつづく。

 タキシングを始めていくらもたたないうちに機が停止してしまったので、
老人の独演会は止まらない。十数分たったころ、呼び出し音が鳴ってCAさんが受話器をとる。
「出発便が混雑していて、この機の離陸はこれから7番目になるそうです」
受話器をおいたCAさんが、申し訳なさそうに伝える。
 ため息のような気配があたりに広がるが、老人ばかりは意気軒昂だ。

 私の席からCAさんの顔が正面に見える。とてもチャーミングな方で、
老人の失礼な物言いにも、けっして笑顔をたやさない。

 「あんたねえ、スチュワーデスでしょうが。ちがうの? なんとかアテンダトとか、
気取るんじゃないよ」
 「どうして、そんなふうに思われるんですか。気取ってなんかいませんよ」
 CAさんは余裕の表情さえうかべて答える。

 「あんたらは知らんだろうが、エアホステスと呼ばれてたこともあるんだよ」
 いつの間にか、うれしさで老人の声がデレっている。

 ようやく離陸し、水平飛行に移ったが、気流の関係で、いつまでたっても
ベルト着用のサインが消えない。CAさんも席を立てない。老人には天国である。
 それでも、いつかはサインが消える。CAさんはにっこり微笑んで席を立った。
 前方でCAさんとチーフCAさんが言葉を交わすのが見えた。

 チーフがやってきた。お辞儀をしたあと、床にひざをついて老人の前にしゃがむ。
 「なんだ、あんた」老人はとまどった様子。
 「Sがとても有意義なお話をうかがったと喜んでおりました。よろしければ、私にもお聞かせ願えませんか」
 「チーフに言いつけるなんて、Sちゃんもひどいな。あんたに話すようなことじゃないよ」
 いかにもデキル女タイプのチーフのTさんに、老人も気後れしている。
 「どうしても駄目ですか。私もぜひ参考にさせていただきたかったのですが」
 「そこまで言うなら、話してあげるけど。あんたが話せというから話すんだよ」

 結論から言うと、このあと着陸前のベルト着用サインが点灯するまで、
チーフはその姿勢をくずさず、老人の話し相手をつとめていた。
 フランクフルト往復のFクラスの機内でも目にすることのなかった「伝説」のひざまずくポーズのまま、
およそ40分くらいものあいだである。

 話を聞いてもらえることほど、年寄りにとってうれしいことはない。
アルツハイマーの母との6年間で、私には身にしみている。
「元気なときになんでもっと会いに行って、話を聞いてあげなかったのか」という後悔の念がよみがえってきた。

 トイレに立ったついでにギャレーをのぞくとSさんがいた。
 「たいへんでしたね」
 「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。どうぞ空いている席に移って…」
 「感動しました。こんなすごいサービス、初めてです」

 着陸前にSさんがもどってきて着席した。老人は「チーフにもお礼を言われたよ」と
得意げである。着陸し、搭乗口で停止するまで、老人はご満悦でしゃべり続けていた。
 Tチーフがつきっきりだったのは、おそらく要注意人物から目を離したくなかったからだろう。
とにかく老人は満足だったにちがいない。

 病院に行き、私のことも見分けがつかない母につきそい、翌日の便で横浜へ。
 一週間後に母が亡くなった。そのせいか印象にのこるフライトだった。

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