2011年5月5日木曜日

「愛しきソナ」を観て

横浜で上映中のドキュメンタリー映画「愛しきソナ」を観た。
場内で観客を数えると、平日の午後ながら30人ほどだった。60代と見受けられる男女の姿が中心である。

「ソナ」は、帰国事業で北朝鮮に渡ったヤン・ヨンヒ監督の兄の娘、つまり姪である。当時、朝鮮総連の幹部でもあった父親の勧めもあり、3人の兄たちが帰還運動に応じた。その経緯については、前作の「ディア・ピョンヤン」で触れられていたような気がするが、本作では語られることはない。しかしピョンヤンを訪れた父親と長兄が並んで散歩する姿に、二人の思いが凝縮されている。今さらそのことに触れることはしない、しかし二人とも心の中では語り続けているにちがいない、その切なさが伝わってくる。

ピョンヤンの住宅街の幅広い歩道と画一的に建てられた集合住宅眺めは、私がかつて暮らしていた東ドイツの街並みに似ていてなつかしい。日本製の商品が並んだ外貨ショップの様子もかつての東ドイツにそっくりだ。二十数年前のあの雰囲気を味わいにピョンヤンに行ってみようか、という思いがよぎる。

余談になるが、東ドイツを訪問中の金日成主席がEKO製鉄コンビナートの視察に来られたおり、至近距離で遭遇してしまった経験がある。

画面を見つめながらそんなことを思い出していたが、同時に「この映画を今観ることの意味は何なのか?」という疑問で、落ちつかない気分が続いていた。
上映が始まって10分ほどで、場内の数箇所でいびきが聞こえはじめた。20分ほどたったあたりで、おなじ列に座っていた3人組の男性がひそひそ話をはじめ、そろって席を立った。

ソナの家庭は北朝鮮にあっては特権階級であろう。自家用車をもち、客をもてなすためにケータリングサービスまで使って食卓にごちそうを並べる暮らしが、平均的な庶民のものだとは思えない。金日成総合大学に入学したと、ソナは映画の最後に手紙で誇らしげに知らせてきた。

この特権階級の暮らしぶりを目にしていると、ひと頃さんざんテレビで目にした、餓える人々、危険をおかして国境を越えようとする人々の姿が二重写しになる。泥にまみれた路上で食べ物をあさる孤児たちは、助かりようがないほど栄養失調に侵されていて、ついには横たわって息絶えても、行きかう人々は見向きもしない。こうした隠し撮りされた数々の映像は鮮烈だ。

「あなたがたは、彼らのことをどう思っているのか」とついつい映画のなかの人物に問いかけてしまいたくなる。しかしその質問は、自分自身に返ってくる問いである。だから居心地がわるいのだ。

悲惨な光景を目にすると、国民を塗炭の苦しみに追いやりながら権力にしがみついている独裁者への嫌悪、虐げられた人々への同情といった感情で胸がいっぱいになる。そのせいで、自分が特権的立場にあることを自覚せずにすむ。気づかないふりをすることができる。

それに対し一見平和な家庭の様子を見ていると、落ち着かない気持ちになる。むろん多くの国民が悲惨な境遇にあることに目をつぶって、自分の幸せを守るしかない境遇も楽なものではあるまい。体制を批判することが、即破滅を意味する社会で、彼らの選択肢は多くない。

それに対し、3.11の大災害を目の前にした私たちには、より多くの選択肢があるはずだ。しかしわずかな金額を義捐金箱に入れることで、良心の呵責から逃れている自分という存在がいる。放射能の被害者であることに免罪符を求めてさえいる自分がいる。映画を観ながら、そこに映し出された人々に何かを問いかけようとするたびに、矮小な自分をふり返らざるを得ない。この居心地の悪さは映画を観終わって24時間たった今も続いている。

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