2009年9月25日金曜日

田舎の秋

連休を四国の田舎ですごしてきた。秋晴れの縁側でぼんやりと柿の木などをながめてと、
そういうお休みならよかったが、母の介護であれよあれよの3日間だった。

アルツハイマーを発症したのが5年前。今年の春先くらいまでは、少しはつじつまの合う話が
できていた。とりわけ様子が変わったのはこの数ヶ月だ。
入れ歯とメガネの区別がつかなくなって、見当たらなくなった入れ歯がはいっていたはずの
容器に、「この入れ歯がここに入ってたでしょう」と言って、めがねを入れようとするので、
「それは入らないよ、メガネだから」と言うと、そうかねと返事をしても、
やはりメガネが気になる様子。
本人ももどかしいようで、何かが見つからなくなるたびに「こんなこと初めて」
「頭がへんになりそう」などとつぶやいている。

「さきに入って」と言って風呂を沸かしてくれたのはありがたいが、しばらくして私が
見に行くと栓をしていない、しかも蛇口からはお湯ではなく水が出ている。
自動湯張りにして、そろそろという頃、テレビを見ている私の前を横切って、
下着姿の母が風呂場に向かう。そんな姿を私に見せることは、これまでなかったのに。

母のあとで入浴し、風呂から上がって出てくると、母は玄関に立っていて、
ドアを開け外をうかがっていた。
「だれか来たの?」
「車であの女の人が」
私はすばやく頭をめぐらす。「デイの人はもう帰ったよ」
「どこに?」
「アスレに帰ったよ」アスレというのは母が通っているデイサービスの施設の名前だ。
はっと気がつくと母は下半身なにも身につけていない。
「無事に着いたと連絡あった?」
「そうそう、あった、あった。だから心配しないで」
居間に連れ帰る。

「カレンダーの29日のところに、ヒデオと書いとるね」
「22日のところね」
「きょうは何日?」
「23日」
「ヒデオはどうしたんじゃろか」
「帰ってきてるでしょ」
「誰が」
「ヒデオが」
「ヒデオはいつ帰ってくるの?」
「私がヒデオだよ」
「あんたがヒデオちゃん?」
「タツオだと思った?」
「そうだねえ。おかしいねえ、タツオはまだ小さいのに」
「40過ぎたおっさんだよ」


なによりも様子がちがうと感じたのは「いつもいつもみんなに大切にしてもらって、
ほんとうに幸せ、私みたいに幸せな人間もいないよね」という口癖が出なくなってしまったこと。
むろん自分に言い聞かせているようでもあったし、息子に心配をかけなくないという
思いもあっただろうが、そう言うときの顔は、にこにこと幸せそうに見えた。
とにかく辛いとか苦しいとか、一人暮らしが寂しいとか、そういった愚痴をもらすのを
聞いたことがなかった。
「お母さんが元気で幸せでいてくれるから、助かるなあ。ほんとにありがたいよ」
と私のほうから水を向けると
「幸せじゃないよ」という答えが返ってきて胸をつかれる。
「楽しいことなんか何もないし。おいしいものもないし」
「ヘルパーさんはよくしてくれる?」
「さあ、どうかねえ」

それでも一晩いっしょにいて、次の日散歩がてら、うどん屋へ。その帰りに、
ようやく「みんなから大事にしてもらって、幸せもんだと思うのよ」という言葉が聞けた。

いつもそばにいてあげることができれば、症状の進み具合を遅らせることもできるのではないか。
ケアマネージャーのIさんに電話をして相談する。「30年もその家で一人暮らしをしていますからね。
だから何とかやっていけるんです。横浜なんか行って環境が変わったら、まちがいなく進行しますよ」
そうかもしれない。だけどそうじゃないかもしれない。
「それよりもっとしょっちゅう会いにきてあげたらどうですか」

たしかに2ヶ月に一度などといわず、毎月、あるいは月に2回来られれば! 
無理をすればそれくらい、と思いつつも、頭のどこかで、自分の今の生活をできるだけ
守りながらだと可能なのは、などと計算している自分がここにいる。

2 件のコメント:

スタービーチ さんのコメント...

女に生れて来たからには!! さんのコメント...
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