2009年9月4日金曜日

一喜一憂(3)


またまた続きです。

7月に小池龍之介さんという禅のお坊さんの話を聴きました。
いろいろと話してくれたのですが、印象的だったのは子育てについてです。

子育てで肝心なのは――
エアコンの音にかき消されそうな、ささやくほどの声量ながら、
けっして言葉を聞き違えることはない、よく届く声でした。

ほめない、叱らない
喜ばない、がっかりしない

禅問答のたぐいかと思いましたね。
この戒めは、わたしがこれまで耳にした子育て論とは、かなり異なっています。
さっそく「それでは何をすればよろしいのでしょうか」と質問いたしました。

どんなことにも揺るがずに、見守り続けること

こそりとした言葉が返ってきました。
それから、子どもは親の顔色をうかがって、いい子を演じようとする。
そして大人になってから、親を憎むようになる、といったことをつけ加えられました。

子どもの態度や成績にたいして、親が一喜一憂していたのでは、子どもが
うまく親を喜ばすことができるにせよ、親の期待に応えられないと自責の念に
かられるにせよ、ほんとうの信頼関係は生まれない、ということのようです。

どういうことでしょうか。
完全にのみこめたわけではありませんが、なんとなく思いあたることがあります。
成績のよい娘が、よい点数のテストを持って帰ってくると、当然ほめました。
たとえ息子が悪い点数をとったとしても、叱ったりはしないで、むしろ励ましていたつもりです。
それでも親を失望させていることを感じとって、劣等感をつのらせていたと、
高校生になった息子から聞きました。

どんなことも同じように受け入れて、何事にも動じない、そんなことは煩悩に
とらわれた私などには無理なことです。たとえそれができたとしても、
こんなふうに育てられた子は社会性を身につけることができるだろうか?
子どもが目の前で人を傷つけようとしたり、傷つけてしまったときも、叱らないのか。
叱られなかった子どもは、かえって愛されてないと感じることはないのか?

考えるほどに疑問がわいてきます。
とはいえ子どもが精神的に不安定で、しっかりとした支えが必要なときに、
親が一喜一憂していて、問題の本質を見過ごしてしまうことはありそうです。
そのせいで、不信感を植えつけられたり、思いがけず深い傷を心に負わせて
しまうといったことが起こりうるでしょう。
親子ばかりでなく、夫婦でも友人同士でも、職場の人間関係でも ありえる
ことかもしれません。

だから思いだしたときには、つぶやいてみるつもです。
ほめない、叱らない
喜ばない、がっかりしない


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