昨日の続きです。
ドイツ語ゼミに出かける前に「日経ビジネス オンライン」で、鈴木義幸さんの
「ここで怒るかそれとも笑うか、それって実は自分次第」
というコラムを読んでいました。
『夜と霧』の著者で、ナチスの強制収容所を生き延びたユダヤ人心理学者
ヴィクトール・フランクルの印象的な言葉を引用*したあと、彼はこう述べます。
「つまり、刺激が直接、反応を引き起こすわけではない、とフランクルは
言っているわけです。アウシュビッツという“刺激”も自動的に「苦しい」
「つらい」「悲しい」という“反応”を引き出すわけではなく、刺激と反応の間には
スペースがあり、そのスペースの中で、どのような反応をするのかは全て個人が
選ぶことができる、と。そして、どのような反応を選べるかがまさにその人の
精神的なレベルを表象している、と。」
なんだか胸にストンと落ちる言葉でした。
体がすこしだけ軽くなったような気がしました。
そのあと、この言葉を気にかけていたとか、肝に銘じて自分の反応を選ぼうと
心がけたとか、そんなことはありません。
自然体でいたつもりです。
それでも、ゼミではいつもと気持ちのありようが違っていましたね。
知らない間に効いてくる薬のようなものだったのでしょうか。
*引用文
「刺激と反応の間には、いくばくかの「間」が存在する。私たちは
この「間」の中で、自分の反応を選択する。私たちの成長と自由は、
私たちが選ぶ反応にかかっているのだ」
2009年9月3日木曜日
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