2008年11月11日火曜日

EKOあれこれ



再訪した旧EKOの様子をすこしだけ書きとめておきたい。取り壊されてしまったカンティーネ(食堂)のわきから地下道を通って冷間圧延工場へ向かう。

写真1:地下の連絡通路。スローガンのたぐいが消えたせいか、なんだかすっきりしている。



コイルヤードは静まりかえっていた。以前は、コイルを移動させるために天井クレーンがしじゅう動き回っていて、ずいぶん活気があった。猛禽のようにすばやく舞い降りてきて、一本爪のフックをコイルの穴にとおして軽々とさらっていく。けっして停止したりはしない。見事な早わざだった。

(コイルというのは鉄板を巻き取った巨大な「トイレットペーパー」状のもの。もう少しきれいな言い方だと「バウムクーヘン」。直径は人の背が隠れるほどもあり、重量は20トンと軽戦車なみ)

運転手はたいていオバちゃんで、下から手をふると警笛であいさつを返してくれた。冗談のつもりで「運転させて」と頼んだら、「上っておいで」。運転席から眺めると、地上はまるでコイルの畑だった。マークを書きこむ作業員はかくれんぼをしている虫みたい。

「下の連中をピンの代わりにして、コイルでボウリングをしてみたいと思ったことあるでしょ?」

「ないわよ」

「ほんとかな。夫婦げんかした日とか―― 正直に言ってみて」

さすがにコイルを吊らせてはもらえなかったものの、となりのクレーンにぶつからないよう移動させたり、フックを左右に動かしたり、しばらく遊ばせてもらった。

写真2:コイルヤード。以前とは並べ方が異なっている。かつてのようにバンドがはじけてボヨーンとなった錆だらけのコイルは見当たらない。
写真3:圧延機棟の天井クレーン(背後にも1台)とコイル

コイルヤードが薄暗いのは、となりの圧延機棟とのあいだに壁がつくられたせいもある。 壁がオペレータの詰め所の上を横切っているので狭苦しいでっぱりになってしまった。あそこでは閑なおり、ときどき昼寝をさせてもらった。試運転が始まってからは、休憩時間にオペレータたちとコーヒーを飲みながらおしゃべりにふけった思い出の場所だ。

写真4:青い壁で分断されたオペレータ詰め所

着任した日、工事長がみずから現場を案内してくれた。新品の安全帽に安全靴、作業服がくすぐったかった。工場に足を踏み入れると工事長が立ち止まってひと言。
「これだけは言っておく。けっしてケガをするんじゃない」
まだブロックがむきだしで、中もがらんとした詰め所まで来ると、工事長はさらにつけ加えた。
「ケガをするくらいなら、仕事しないで、ここで昼寝でもしていてもらったほうがありがたいんだ」

各部署をまわってあいさつをしている途中、うっかり玉掛け(吊荷)の下を横切ろうとして、さっそく「バカモノ!」と一喝された。なんでそんなに神経質なんだろう? 理由はあとで先輩から教えてもらった。工期を守ることが最優先なのに、人身事故がおきると警察の現場検証や安全対策の確認などで何日も工事が中断される。それをなによりおそれているのだ。

じっさいその後、工事が山場をむかえると、徹夜の突貫工事がつづくようになる。人身事故については、一度だけ不幸な事故がおきて、工事がストップしてしまった。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ブログへのコメントありがとうございました。EKO内部の貴重な写真など、非常に参考になりました。

ふたつ質問させていただきます。

1.EKOの発音は、「エーカーオー」だと推察するのですが、「エーコー」などと発音されたことはありましたか?

2.EKO(Eisenhuetten Kombinat Ost)に対して、Westというものは存在しましたか?ブランデンブルク市のコンビナートをそう呼んだという事実はありましたでしょうか?

どうかよろしくお願いします。

falan さんのコメント...

コメントありがとうございます。初コメント、うれしいです。

EKOの発音は「エコー」です。
私も記憶があやしかったので、6月に訪れたさいに、コンビナートで確認してみました。

Eisenhuetten Kombinat Westというのは耳にしたことがありません。
ブランデンブルクの製鉄所は戦前からの伝統ある工場ですから、東ドイツが新規に作り上げたコンビナートとは呼び方が異なっていたのはないでしょうか。
残念ながら、もう閉鎖されてしまったようですね。

匿名 さんのコメント...

falanさん、

ご回答ありがとうございました。
なるほど。EKO(エコー)でしたか!
参考にさせていただきます。